2011年9月 1日 (木)

追憶の鎌倉海浜ホテル

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  明治20年、由比ヶ浜の松林に「鎌倉海浜院」が建てられると(1年後ホテルに)、鎌倉はその温暖な気候を利用した「療養と海浜保養」の別荘地として知られるようになりました。海浜ホテルの周辺では政財界の名士が交流し、海外の文化や習慣を体験した人々が華やかな雰囲気を漂わせました。いわゆる「別荘文化」です。この一種外国風の“特別な場所”を取り巻きながら、明治、大正、昭和(戦前)の鎌倉のまちと人々の生活は次第に活気を帯びて行ったのです。しかし昭和20、21年の火災で焼失したこのホテルは、いま人々の記憶から消え去ろうとしています。
 この企画では鎌倉市中央図書館近代史資料室が企画する「鎌倉海浜ホテル追憶展」(7/16~9/25 鎌倉文学館第3展示室にて)と連動し、当時のホテルの様子やまちの人々の生活を、証言や思い出をもとに伊東雅江、渋谷雅子両氏の絵画と古い写真や資料で振り返ります。ささやかながら市民の手で「まちの記憶を掘り起こし伝えよう」とする試みです。

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   期間:平成23年9月1日(木)~19日(祝)11:00~17:30 (9/4、5、12休館)
   場所:ジャックと豆の木(由比ヶ浜通り) 鎌倉市由比ガ浜2-4-39
   問合:0467-24-6202(ジャックと豆の木)
   主催:鎌倉・まちの記憶を伝える会 / NPOコソガイ  入場無料Itoshibu

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2008年9月13日 (土)

ベビーリーフ

Tonbo 1ヶ月鎌倉を留守にした。何のことはない、早朝から仕事で東京に行き、夜遅く帰る生活。考えてみればサラリーマンのお父さんと同じことだが、生活の中心が鎌倉になって15年、初めて1日のほとんどをよその土地で過ごす期間だった。この間、家族は母親のいない気安さと不便さを知り、生活がちょっとたるんでた。。周辺の知人も不在に気を使い「元気にしてた?」と、戸惑いがちにお声をかけてくれる。いや、元気だったけど、鎌倉も変わったような…変化に戸惑ったのは私自身かもしれない。で、畑はどんなふうに変わっちゃったろう?

久々に農振地域に足を踏み入れると、いきなりトンボが迎えてくれた。日中の温度の高さは同じだが、朝晩は確かに涼しい。今年の鎌倉の夏の記憶がないまま、季節はいつのまにか初秋に変わってる。その畑では所々で土が直に見える。端境期らしい。

Satumaimo 「いやあ、夏の猛暑と少雨で、サツマイモが地中深めに実ってね。掘り出すのが大変だった~!!」変わらぬ笑顔で迎えてくれたのは柏木さん。掘りたての色鮮やかで立派なイモが見える。夏の間、その根っこは水を求めて、深く深くに伸びていき、深さの先にイモが実ったのだ。そのケナゲさが、なんだか切ない。でも収穫の時期になって質も量も例年と同じかそれ以上であることは、笑顔が物語っている。

Kabu 「3時を過ぎると涼しくなってきたので、ようやく葉物を植えるのには良くなってきたんだよ。そこにあるパオパオの畝は小松菜とカブの苗。植えて10日ほどだよ」猛暑の間、苗を植えても、暑さと少雨で、うまく育たないことが多かったと言う。苗はかわいらしいベビーリーフをつけて、パオパオの中で順調に育ちだした。

Komatuna_5     わたしの不在の間、猛暑の影響で、直売でもスーパーでも鎌倉野菜は品薄だった。下馬の連売では午前中9時前にレストランの仕入れ担当者が専用の大型カゴを持って野菜を買っていってしまう、と聞いている。昼頃一般の客さんが来ても、ほとんど売り切れてしまっている、と。スーパーでも品薄。東京でもその名が知られるほど人気者の鎌倉野菜は、今や貴重品。私にも手にいれにくい食品になってしまった。

これからの約1ヶ月半から2か月、鎌倉の畑で大切に育てられるベビーリーフたち。順調に育って、私を含めて待ちわびてる消費者の手元にちゃんと届いてねsign01

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