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2007年9月20日 (木)

直売所

Chokubai1 鎌倉の野菜のほとんどは、仲卸を通すことなく消費者に直接売られる。

鎌倉市農協連即売所は下馬交差点近くにあり、歴史ある大きな直売所。鎌倉市と一部横浜市の農家約30軒が加入して、建物内の6~7店のブースで日替わりで自家製のやさい、果物、花などを販売する。地域の人やレストランのシェフなどが、飾りっ気なく置かれた野菜を求めて訪れ、けっこうな活気。大きな直売所のほかに、農家の軒先で無人で売られているものもある。野菜の隣に置かれた筒や箱に料金を入れて買う、野菜スタンド。(もちろん有人のスタンドも。)いずれも生産者のみなさんが直接売っているので、安くて新鮮、なにより安心。

Hatake_2 一つのブースやスタンドがいわば一軒の八百屋さん。だからたくさんの種類を少しづつ置く必要がある。こうして鎌倉の畑では少量多品目の野菜たちが育てられる。一区画の畑の2~3畝がピーナッツで、次の2~3畝がキュウリで、次がナスで…という調子。いろんな種類が同時に育つ畑を、誰が呼んだか「七色畑」。確かに、ほかの耕作地では考えられないほど多種類の野菜たちにここでは出会えるのだ。

直売では、知らない野菜を紹介してもらったり、農家の人に料理の仕方を教わったり、生産の苦労話や植物を扱うコツを教えてもらったり。消費者と生産者の「顔の見える」お付き合いがある。生産から販売までを一貫して行うのは効率がいいわけではないと思うが、ほとんどの農家の人たちがこの鎌倉スタイル。「僕たちは味の好みや使い方など、たくさんのことをお客さんから教えてもらう。だから顔が見えないと不安なんだ」と言う。 Chokubai_2

丹精込めた作られた野菜たちを直接渡してもらう。安心でおいしくて、贅沢。「ありがとう」と思いつつ…あ、今日も買いすぎちゃった(^ ^;)

鎌倉市農協連即売所(鎌倉市小町1-13-10 お問い合わせ:JAさがみ44-3851)

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2007年9月11日 (火)

プロフィール

CanCan 入江麻理Dango  

このサイトの運営管理者。鎌倉玉縄地区在住十数年。
移住当初、近隣の人が「頼朝さんがここでこうした(源頼朝のことだ)」と話してくれたので、「よりともさんって誰?」と聞いて(だって、友人のことを語るようだったんだもん)歴史音痴の名を、金木犀を沈丁花と尋ねて(だって、音が何となく似てません?)植物音痴の名を決定的にする。
カッコ悪いので郷土史と花の名前を学ぶが、植物名はやさいぐらいしか頭に入らないようだ(食いしんぼうだから?!)。
鎌倉八幡宮を中心とする旧鎌倉とは異なる鎌倉玉縄と大船地域の生活文化を伝えるため、玉縄の象徴の「畑」「野菜」をテーマにして、
無知をさらしつつサイトを始める。イラスト、料理、デザインなどでご近所の友人(いわば、チーム玉縄)に支えられながら続けている。
ボランティアで鎌倉子育てガイド運営。子ども向けの体験講座多数開催。

ご感想は下記のアドレスでお願いします。
cancan@@@@kamakuranet.ne.jp
@を一つにしてメールしてください。

Gaako 渋谷Soramames

鎌倉玉縄地区在住数十年。歩きまわること、食べること、昔話を探しまわること、人と会うことをこよなく愛するイラスト担当。人の知らない昔話をたくさん知っているのに、教科書にでているような歴史は自信がないらしい。やさいにもくわしいが、育てることより食べることが上手。歩きまわって多忙なため、ちっとも原稿が上がらないこと・・・。(イラストそら豆の右端)

Miu 三浦

生まれも育ちも鎌倉玉縄の料理担当。ご一族は鎌倉の有史以来この地にお住まいとか。海外経験も長いアクティブな多趣味人。そのためお料理は多国籍・三浦料理。様々な国、風俗文化の影響を残しつつ、やっぱり鎌倉に住む三浦さんのセンスによる独創。地域のこと、国のこと、海外のこと、歴史、何を聞いても答えが返ってくる。恐るべし、玉縄3000年の歴史。(イラストそら豆の左端)

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2007年9月 1日 (土)

玉縄史跡祭

Img_4121 夏も終わりに近づいた8月19日、鎌倉玉縄地域の夏祭り「玉縄史跡祭」が行われた。現在は鎌倉の住宅地で農振地域も抱える玉縄には、かつては玉縄城という山城があった。北条早雲の手によって作られ、三浦半島の里見氏に対して抑えの役割を果たし難攻不落を誇ったという。1526年、この玉縄城側は戸部川(現在の大船駅前の柏尾川)での里見氏との激戦で勝利し、里見氏を追い返した。戦死した者を顕彰するために、毎年8月19日に戦死者の首塚がある玉縄戸部町で地域の人々が集まって玉縄史跡祭は開かれる。

・・・とここまで書いたら、なんと勇ましい土地であったか、と思うかもしれない。でも、この戦いの戦死者は35人。 Img_8744 あれれ・・・戦国の世とはいえ、ちょっと桁がちがうぞ。鎌倉時代は幕府のあった旧鎌地域と呼ばれるあたりでは戦いごとに「数えきれない死者」が出たり、一族郎党全部滅ぼされたり。いまだに由比ガ浜や材木座ではかつての戦乱で命を落とした者の人骨が大量に発見されるというのに。で、鎌倉市のはずれの玉縄の激戦では35人の戦死者(玉縄を守るために命を落としたりっぱな方々です)。江戸時代直前になると、玉縄城は徳川方の前に戦うことなく無血開城する。その後ほとんどの武士は地主として農業に従事したと聞く(小作は少なかったらしい)。大戦中は地域の中心に捕虜収容所が設けられたため、空襲をまぬがれた。戦後は収容所があったおかげでいち早く米軍の食糧援助を受けもした。いろいろ調べても、縄文時代より前から人が住んでいながら、1526年の戦のほかはいくさの記録がほとんどない。どうやら農地だったこの一帯が戦禍にまみれたことはないようだ。

Img_4120_2 なだらかな丘陵で肥沃な関東ローム層の土を持ち、緑と水に恵まれた温暖な気候の土地。環境的にも、歴史的にも農業に向いた、ほんとうに「のどか」な場所だったんだ。道理でここで作られた野菜は甘くおいしいわけだ。

お祭りでお父さんにお面を買ってもらって早速つけて帰る子ども。おじいちゃんと一緒に綿あめを求める子ども。友だちと待ち合わせてお祭りを楽しむ中学生と、ちょっと離れたところからそれを見守る親。かつては日本中にあふれていたそんな懐かしくも消えゆく光景が、今も残る地域。ちょうちんを見ながらその穏やかな豊かさに感謝した。

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